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ぼくはぼくを記録することにした。

いつもぼくの芯には絵を描くという目的がありながら、その時の気分で音楽や写真に触れたり触れなかったりしてきた。
更には何も残らないと知りながら、料理やお酒にのめり込んでたり。。。
そうやって欲求と現実を彷徨うのだけど、生業にしたい気持ちもなく、またはできるようなものではなさそう。

芯の周りを徘徊している間に40代になっていて、時を同じくしていわゆる「キャリア」みたいなものも手放してみたくなり、芯を目指して新しいことへ進み始める。ふとしたときに自分の選択に失望したり、自分の未来に絶望したりする。

振り返ると、「もう若くない」のだけど、先を見ると、「まだ若い」。
残りの人生を自動運転でやり切るには経験値も足りなくて、なんだかんだと規則正しい暮らしをしながら落ち着きを保っているのが現実である。

これまでもそうだったように、
自分の人生では「思ったより大したことできなかったな」という壮大さへの諦めと、
40代に入りたてのひとりの男性として初めて経験する揺らぎ。

これからへ進む度に、「人生のもっともうつくしいとき」から遠ざかっていくのは免れないこと。
ただ無くなることへ続く道を、時間を、ぼくはこれから、それでもどう歩んでいくのだろうか。
心拍の速度と同じくして心や身体が揺らぐ。
相反する感情が同時に存在する毎日である。

ふと、こういう話を誰かとしたこともないなぁと思うし、誰とでもできるわけでもないよなぁと思う。
話したい友人もいるけど、もしかしたら耳を傾けてくれないかもしれない。
ほとんどの友人が個だけで忙しいという状況ではなくなっているのだから。

こんな気持ちを形にした音楽や映画とかないだろうかと探ってみるのだけれど、
いつの間にか「人生のもっともうつくしいとき」に聴いていた音楽や過去の写真に停滞する。
探し物は存在しないのか、隠れているのか、見つけていないのか。
そんなことを考えているうちに、考え続けていることや、こんな狼狽、こんな有様、そのものが滑稽で愛おしく思える瞬間が不思議とあり、今ここにあるぼくの感性が、そのときどきのうつくしいときに加えることが出来そうな気がした。

有名とか無名とかではなく、
ひとりの人が生きるということは、芸術のようなエンターテイメントのような、作品そのもののような、だからぼくはぼくをゆっくりとでも記録することにした。価値や意義とか、大したことがあるとかないとか、そんなことは忘れて、ぼくは未知のぼくに遭遇するとで、記録することことができて、それに没頭できればいい。
そのために好きな言葉を並べてみる。

いつかの自分の楽しみのひとつになれば嬉しいし、
願わくば、いつかの誰かの慰みになれたらいい。

そしてぼくは、このブログのタイトルを「音楽」として、
ぼくが日頃から大切にしている曲をひとつづつ最後に添えていこうと思う。

Inner Science / end of the beginning

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