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RABBIT

このウサギも15歳を迎えたので、絵に込めた思いを文章にして綴ってみようかと思います。

2009年に描いてからずっと手放さず自宅にあり、最も多くの方に可愛がられた作品だと思います。
当時25歳の僕が自分自身を揶揄した作品で、ポートレートとして皮肉たっぷりに描いたのですが、その都度お話できるような内容でもないし、今はこのページまで来てくれた方に知っていただければいいなと考えています。

まずは僕の生い立ちを遡ることから始まります。
複雑な家庭の事情で小中学校時代から一人生活をすることが基本で、そこは電気ガスや水道すらよく止まる家でした。でも何よりも悩んだことは「孤独」ということで、寂しいとか惨めとかいう次元ではないし、辛いとか考えている余裕もなかったです。お腹が空けば近所の畑を夜な夜な荒らして生野菜を盗んで公園の水道で洗って食べたり、学校行く前には自分で洗濯していくので遅刻ばかり。まぁ寝坊もかなりありましたけど。
そんな中、僕の人生において最も侮辱された記憶として今でも思い出すのは、たまに家にいる父親と知らぬ女性がSEXをした後のお茶汲み担当を恐怖に捕縛されながら尽くしていたこと。でもね、孤独よりは人との接触があることに喜びを感じていました。

何故こんな話をしたかというと、ウサギを描いた理由に「ウサギは寂しいと死ぬ」なんていう世間の嘘と自身の孤独を肖っているからです。平和ボケした言葉が広がる周囲(社会)への嫌悪に、とにかく生きているという反骨心が当時の僕には結びついたんだと思います。曇った瞳に無機質な表情、一人生活と孤独の王子を掛けるのに冠を加え、根のない植物を右耳にしたのは僕の右耳が移植で作った脆い耳のこと。
これを描いているとき心には憎悪がすごくて泣きながら鉛筆を描いたのを今でも思い出すし、それでも何か変わるのではないかと信じて最後まで描き続けたときの達成感は快感に等しく現在でも越えれていない領域です。

描き上げた当初は自己主張するためのナイフを作ったぐらいの感覚で完全に臨戦体制でした。具体的に何を企んでいたわけではないのですが、理不尽な社会に喧嘩でも売る気だったんでしょう。
ところが、原画を実際に手にしてもらったり、ポストカードや名刺にして配ったりしていると、ほとんどの方が笑顔で眺めてくれて、何かを感じて涙を流してくれた方もいる。額にいれてくれた方もいるし、10年以上もファンでいてくれる老夫婦がいたり、フランスから原画をみたいと来日した方もいる。今も家に飾ってるよ、また原画みせてね、なんていう言葉に囲まれるようになりました。
絵に込めた意味を伝えてないからなのか、意図しない反応に驚かさせることばかりでしたが、そういった反応は僕の人生を間違いなく豊かにしてくれたと15年経って振り返ることがきています。

絵は描いて終わりではなく、その後も自分で育てることができる。
自分にしか全ては見えていなくても、どこかに生々しさがあるからこそ誰かに見てもらえるのかなと思う。
ぼくにとっても出会えてよかったウサギなんです。

余談ですが、そういう境遇でしたので僕は社会問題と創作活動を同列に考えています。児童福祉、障害者福祉、動物保全に関わる事業や団体へ少額でも寄付を続けるというのは、若き頃の環境への悔しさが大きなバネでもあるのですが、この絵を笑顔で楽しんでくれる方々への感謝という気持ちが強いんです。この話は別の機会に書かせていただきます。

最後に。
40歳となった今、このウサギと対となるようなテーマを試行錯誤しております。
もう一度、あの領域にたどり着けるように。
今度は憎悪から始まるのではなく、全く別の感情から始まる作品を残すことが当面の目標です。新しいエネルギーの糧は直ぐそこにあるような気がしています。
まぁお披露目できるようになるには運や時間がかかりますが、楽しみにしていただけると幸いです。

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